2015年6月20日 JR 深谷 「日本煉瓦と渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり」 [JR駅からハイキング]
2015年6月20日 JR駅からハイキング期間限定 深谷 「日本煉瓦と渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり」
に参加しました。
コースは
深谷駅→旧深谷宿常夜燈→福川鉄橋→備前渠鉄橋→煉瓦史料館→ホフマン輪窯→
尾高惇忠生家→渋沢栄一記念館→渋沢栄一生地 (中の家)→誠之堂・清風亭→深谷駅
距離約15km
乗換の大宮駅でスマホを忘れたことに気が付きます。
スマホがないと乗換に戸惑い
時間がかかってしまい予定の電車に行かれてしまいました。
若者のスマホに文句を言えないスマホ依存症のおばさんでした。どうにか深谷駅に到着。
以前から深谷駅の東京駅に似た赤煉瓦の駅舎が気になっていたのです。
大正時代に竣工した東京駅は深谷にあった日本煉瓦製造(株)で製造された煉瓦を使ってつくられました。
これにちなんで、深谷駅も東京駅に似た作りにしたのですが、
こちらはコンクリートに赤レンガ風タイルを張ったものです。
遊歩道に沿って歩きます。
この「あかね通り」遊歩道は日本煉瓦製造の煉瓦を深谷駅まで運ぶために使った
専用線の跡です。
なので、この遊歩道を歩くと日本煉瓦製造があったところまで行けるようです。
旧深谷宿常夜燈
江戸時代中仙道深谷宿の入口の常夜燈です。
深谷宿は江戸を出て2晩目の宿にする人が多く80軒もの旅籠がありました。
途中の田んぼはレンガをつくるため土地を掘り起こした後に
水を張って田にしたそうです。
煉瓦工場のためにも農民のためにもなったようです。
福川鉄橋
専用線が福川をまたぐためにつくられた橋で、現存する日本最古のポーナル型プレートガーダー橋(なんのこっちゃ??)だそう。
車止めが宇宙人のようで笑えます。
宇宙人に見えるのは暑くて意識が飛んでいるから??
遊歩道のカーブが鉄道線の雰囲気が出ています。
国指定重要文化財の備前渠鉄橋
いったいどれ??と草むらの中まで入って蚊に刺されたのに
実は私が立っている橋がそうでした。
赤煉瓦の塀に沿って歩くと煉瓦史料館に到着です。
ここは日本煉瓦製造(株)の瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったドイツ人技師の住居兼工場建設事務所で
娘と一緒に住んでいたそうです。
技師が帰国した後は事務所として使われました。
ここが現在は資料館となっています。
煉瓦の種類とか当時の深谷の様子や工場の様子、東京駅に赤レンガを納入した時の請求書
などがありました。
ちなみに日本煉瓦製造(株)は渋沢栄一他で作られた会社で
ここの煉瓦が東京駅丸の内側駅舎、万世橋高架橋、迎賓館 赤坂離宮などに使われています。
ホフマン輪窯
煉瓦を焼いていた窯の大部分は壊され現在残っているのは
ほんの一部。
こちらは数回の見学の日以外は、団体の予約のみを受け付けて
見学できるようです。
小山川に沿って歩きます。
暑~い。
尾高惇忠生家
1年前までは個人の所有だったのを寄付されたそうで
まだ生活感があります。
尾高惇忠は渋沢栄一の論語の師匠で、尾高惇忠の妹が渋沢栄一の最初の妻。
尾高惇忠は富岡製糸工場初代工場長で、女工が集まらなかったため
娘が女工として働いたそうです。
世界遺産になった富岡製糸工場は、群馬県ですが
深谷は埼玉県の中でも群馬県寄りの所で、関係ある人はむしろ富岡より深谷?という感じなので
渋沢栄一と尾高惇忠と韮塚直次郎(こちらはどちらかというとガテン系親分)が
深谷の三偉人としてパンフレットやポスターであちこちに出ていました。
渋沢栄一記念館
公民館の建物ですが、半分以上は渋沢栄一記念館として使われています。
渋沢栄一生家 (中の家)
元は農家でしたが、「苗字帯刀」が許され様々な商売もして
裕福な家だったようです。
誠之堂は渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築さました。
英国農家をイメージして世田谷区に建てられましたが、取壊しになるところを
深谷市が譲り受けたものです。
煉瓦造りで国の重要文化財です。
清風亭は第一銀行頭取だった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、誠之堂と並べて建てられました。
こちらも世田谷から移築されたもの。
スペイン風の建物でコンクリート製で埼玉県指定有形文化財。
電車に乗り遅れスタートが遅くなったうえに駅ハイには珍しく15km。
普通に歩いていてもゴールギリギリの時間になるのに
深谷の人は郷土愛でとても丁寧に説明してくれるので時間がかかる・・・
誠之堂 清風亭に着いたときは、もうゴールに間に合わないかもという時間。
ここのガイドさんはその状況を知っているようで
「みんな話が長いから、遅くなっちゃったでしょ。説明するとゴールに間に合わなくなるかもしれないけど、どうする?」
と聞いてくれました。せっかくだから説明お願いしますというと
上手に話をまとめて写真を撮りたいんでしょ、とところどころで撮影時間も入れて
私の希望の時間ピッタリ2か所で30分。
ボランティアの方だと思うけど、話も楽しくすごい!と思いました。
次回また来ることがあったら、この方の話をもっと長く聞いていたいと思いました。
帰り道、途中で地元の女性とお話をして別れた後しばらくして
呼ぶ声がする。
振り向くと、先ほど話をしていた女性が家の畑で採れたきゅうりを持って
自転車で追いかけてきてくれていました。
深谷はね、ネギだけじゃなくてキュウリも美味しいんだよって。
なんだかうれしいな。
見学したところではガイドさんがみんなこんな暑い日は歩かないで
バスに乗って移動した方が良いよ、と言ってくれた。
ウォーキングで来ているから歩きます!というと熱中症には気を付けて
と言われた。
深谷の人ってみんな優しいなあ。
先日、渋沢栄一ゆかりの地の王子へ行ったばかり。
残念ながらあの時は時間切れで渋沢栄一関係は見ることが出来ませんでしたが
深谷で優しい人たちと出会いながらの渋沢栄一めぐりのウォーキングとなりました。
にほんブログ村
に参加しました。
コースは
深谷駅→旧深谷宿常夜燈→福川鉄橋→備前渠鉄橋→煉瓦史料館→ホフマン輪窯→
尾高惇忠生家→渋沢栄一記念館→渋沢栄一生地 (中の家)→誠之堂・清風亭→深谷駅
距離約15km
乗換の大宮駅でスマホを忘れたことに気が付きます。
スマホがないと乗換に戸惑い
時間がかかってしまい予定の電車に行かれてしまいました。
若者のスマホに文句を言えないスマホ依存症のおばさんでした。どうにか深谷駅に到着。
以前から深谷駅の東京駅に似た赤煉瓦の駅舎が気になっていたのです。
大正時代に竣工した東京駅は深谷にあった日本煉瓦製造(株)で製造された煉瓦を使ってつくられました。
これにちなんで、深谷駅も東京駅に似た作りにしたのですが、
こちらはコンクリートに赤レンガ風タイルを張ったものです。
遊歩道に沿って歩きます。
この「あかね通り」遊歩道は日本煉瓦製造の煉瓦を深谷駅まで運ぶために使った
専用線の跡です。
なので、この遊歩道を歩くと日本煉瓦製造があったところまで行けるようです。
旧深谷宿常夜燈
江戸時代中仙道深谷宿の入口の常夜燈です。
深谷宿は江戸を出て2晩目の宿にする人が多く80軒もの旅籠がありました。
途中の田んぼはレンガをつくるため土地を掘り起こした後に
水を張って田にしたそうです。
煉瓦工場のためにも農民のためにもなったようです。
福川鉄橋
専用線が福川をまたぐためにつくられた橋で、現存する日本最古のポーナル型プレートガーダー橋(なんのこっちゃ??)だそう。
車止めが宇宙人のようで笑えます。
宇宙人に見えるのは暑くて意識が飛んでいるから??
遊歩道のカーブが鉄道線の雰囲気が出ています。
国指定重要文化財の備前渠鉄橋
いったいどれ??と草むらの中まで入って蚊に刺されたのに
実は私が立っている橋がそうでした。
赤煉瓦の塀に沿って歩くと煉瓦史料館に到着です。
ここは日本煉瓦製造(株)の瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったドイツ人技師の住居兼工場建設事務所で
娘と一緒に住んでいたそうです。
技師が帰国した後は事務所として使われました。
ここが現在は資料館となっています。
煉瓦の種類とか当時の深谷の様子や工場の様子、東京駅に赤レンガを納入した時の請求書
などがありました。
ちなみに日本煉瓦製造(株)は渋沢栄一他で作られた会社で
ここの煉瓦が東京駅丸の内側駅舎、万世橋高架橋、迎賓館 赤坂離宮などに使われています。
ホフマン輪窯
煉瓦を焼いていた窯の大部分は壊され現在残っているのは
ほんの一部。
こちらは数回の見学の日以外は、団体の予約のみを受け付けて
見学できるようです。
小山川に沿って歩きます。
暑~い。
尾高惇忠生家
1年前までは個人の所有だったのを寄付されたそうで
まだ生活感があります。
尾高惇忠は渋沢栄一の論語の師匠で、尾高惇忠の妹が渋沢栄一の最初の妻。
尾高惇忠は富岡製糸工場初代工場長で、女工が集まらなかったため
娘が女工として働いたそうです。
世界遺産になった富岡製糸工場は、群馬県ですが
深谷は埼玉県の中でも群馬県寄りの所で、関係ある人はむしろ富岡より深谷?という感じなので
渋沢栄一と尾高惇忠と韮塚直次郎(こちらはどちらかというとガテン系親分)が
深谷の三偉人としてパンフレットやポスターであちこちに出ていました。
渋沢栄一記念館
公民館の建物ですが、半分以上は渋沢栄一記念館として使われています。
渋沢栄一生家 (中の家)
元は農家でしたが、「苗字帯刀」が許され様々な商売もして
裕福な家だったようです。
誠之堂は渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築さました。
英国農家をイメージして世田谷区に建てられましたが、取壊しになるところを
深谷市が譲り受けたものです。
煉瓦造りで国の重要文化財です。
清風亭は第一銀行頭取だった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、誠之堂と並べて建てられました。
こちらも世田谷から移築されたもの。
スペイン風の建物でコンクリート製で埼玉県指定有形文化財。
電車に乗り遅れスタートが遅くなったうえに駅ハイには珍しく15km。
普通に歩いていてもゴールギリギリの時間になるのに
深谷の人は郷土愛でとても丁寧に説明してくれるので時間がかかる・・・
誠之堂 清風亭に着いたときは、もうゴールに間に合わないかもという時間。
ここのガイドさんはその状況を知っているようで
「みんな話が長いから、遅くなっちゃったでしょ。説明するとゴールに間に合わなくなるかもしれないけど、どうする?」
と聞いてくれました。せっかくだから説明お願いしますというと
上手に話をまとめて写真を撮りたいんでしょ、とところどころで撮影時間も入れて
私の希望の時間ピッタリ2か所で30分。
ボランティアの方だと思うけど、話も楽しくすごい!と思いました。
次回また来ることがあったら、この方の話をもっと長く聞いていたいと思いました。
帰り道、途中で地元の女性とお話をして別れた後しばらくして
呼ぶ声がする。
振り向くと、先ほど話をしていた女性が家の畑で採れたきゅうりを持って
自転車で追いかけてきてくれていました。
深谷はね、ネギだけじゃなくてキュウリも美味しいんだよって。
なんだかうれしいな。
見学したところではガイドさんがみんなこんな暑い日は歩かないで
バスに乗って移動した方が良いよ、と言ってくれた。
ウォーキングで来ているから歩きます!というと熱中症には気を付けて
と言われた。
深谷の人ってみんな優しいなあ。
先日、渋沢栄一ゆかりの地の王子へ行ったばかり。
残念ながらあの時は時間切れで渋沢栄一関係は見ることが出来ませんでしたが
深谷で優しい人たちと出会いながらの渋沢栄一めぐりのウォーキングとなりました。
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タグ:ウォーキング JR駅からハイキング
スマホ みつかってよかったですね。
by オサムシ (2015-07-26 23:25)
nanamamaも最近はあまり時刻表とか地図とか調べないで行くのでスマホ忘れたら焦ると思います。
紙に印刷するのもエコじゃないと思ってね。
by nanamama (2015-07-27 00:37)
なんだかとってもいい駅ハイでしたね。
深谷って歴史的建造物などが多い地だったんですね。
誠之堂 清風亭のガイドさんはお見事ですね。
地元の人とのふれあいもいいですね。
機会があれば、私も行ってみたいと思います。
by walkerZ (2015-07-27 05:56)
深谷駅舎は立派ですね。
ミニ東京駅みたいな雰囲気を感じます。
他にもレンガが印象的なものが多いですね。
この町の産業を支えてきたんでしょう。
by YAP (2015-07-27 08:17)
車止めがユニークですね~
by とまと (2015-07-27 08:43)
暑い中お疲れ様でした。
数々の有名な会社の設立には渋沢栄一氏が携わっています。
晩年は飛鳥山公園内で送ったそうです。
先日「花園道の駅」でユルキャラ「ふっかチャン」のクレーンゲームで500円で取れるまでで2個ゲットしました。
by あすか (2015-07-27 09:44)
深谷駅、実は私も一瞬東京駅かと思ったほどでした。
このブログを拝見し深谷の歴史、産業について随分知らなかったことがわかりましたよ。
深谷の人の郷土愛、そして人情。
歩いた後で思い出す、人たちの心の温かさが・・・
これ程好いウォーキングも少ないのではないかと思いました。
その時限りでなく後から思い出す、ほのぼの感が一番です。
by country walker (2015-07-27 20:08)
そっかぁ、私は外出中はwi-fi頼みなので、逆に家で散々調べつくします。
で、オフラインで使えるようメモ保存したりして行きますね。
突発自体はガラ携帯で乗り換えを調べたりはしますけど。
by takoing (2015-07-27 22:17)
車止め宇宙人^m^
確かに生き物風ですね。
ちょっとモグラたたきを想像してしまいました。
煉瓦にまつわる建物その他色々が
面白いです。
誠之堂がステキ。
by ふにゃいの (2015-07-27 22:46)
コメントありがとうございます。
☆オサムシさん
スマホは家にありました。
☆nanamamaさん
スマホを持ってから紙に印刷することは
なくなりましたね。
視力を考えると神の方が見やすいんですけどね。
☆walkerZさん
深谷、ねぎしか知らないところでしたが
歴史的にも奥深い場所で興味深く歩けました。
誠之堂 清風亭のガイドさん、時間だけでなくて
話も上手で本当に素晴らしいガイドさんでした。
是非、行ってみてください。
☆YAPさん
私は駅からハイキングの地図であるいたのですが
街なかにもいろいろ素敵な建物があって面白そうです。
深谷と言ったら私にはねぎですが
深谷の人には煉瓦と渋沢栄一なのかもしれません。
☆とまとさん
車止め沢山の宇宙人がいるみたいでした。
☆あすかさん
一度飛鳥山の方の渋沢栄一史料館へ行きましたが
その時はあまり興味がなかったのですが
今行くと興味深く見学できるかな?と思います。
クレーンゲームでふっかちゃん、可愛いから私も欲しくなりそうです。
☆country walkerさん
私も今回深谷の事を知りました。
特に今旬の富岡製糸工場とのつながりも知ることが出来ました。
そして、何より深谷の方達の親切に心が温まりました。
☆takoingさん
便利になると段々頼ってしまいますね。
友人と子供の頃はビデオもなかったのに・・・と
話をして、そんなときもあったなあと思いだしました。
☆ふにゃいのさん
車止め、もぐらたたきにも似ていますね。
渋沢栄一は王子の飛鳥山というイメージでしたので
こちらの出身でこれほど人々に尊敬されているということを
初めて知りました。
煉瓦の建物っていいですよね。
by ジャランこ (2015-07-28 21:10)
街の至ることろに煉瓦が使われていてとてもよい雰囲気ですね
渋沢栄一とフカニャンが並んでいるところが面白いですね
新旧の深谷の有名人(人?)、街の皆さまに愛されているのでしょうね
by ハイチュウ (2015-07-28 21:50)
☆ハイチュウさん
煉瓦が素敵な街で、その歴史も興味深いものでした。
渋沢栄一がこれほど街の人達に愛されていたのには
おどろきました。
1000円札の候補になっていたのに、髭がなくて
伊藤博文に負けたそうですよ。
by ジャランこ (2015-07-28 22:19)